姫路城

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お夏清十郎(おなつせいじゅうろう)~姫路城下の悲恋物語

お夏清十郎の話は江戸初期の実話で、主人公は姫路城下の旅籠但馬屋 の娘お夏と手代の清十郎の悲恋物語です。この実際にあった悲恋物語を題材に、井原西鶴が『好色五人女』の第1話 姿姫路清十郎物語を書き、近松門左衛門がそれを元に脚色し、浄瑠璃『五十年忌歌念仏』をつくりました。このお夏と清十郎の悲しい恋物語とは?
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姫路城の桜の絶景、オススメスポットはここ!10選+α

世界遺産・姫路城は、その美しさは広く知られるところですが、桜の名所100選に選ばれるほどの桜の名所です。春には、城内にソメイヨシノなどおよそ1000本もの桜が咲き誇ります。桜とお城のコントラストがとても綺麗です。是非、姫路城の桜を見てもらいたいので、姫路城と桜をより一層楽しめる絶景、オススメスポットをご紹介します。
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姫路城主の弟・酒井抱一(ほういつ)、「江戸琳派」の祖となる。

酒井忠因(さかい ただなお)は、号を抱一(ほういつ)と言います。 江戸時代32人の姫路城主の24代目である酒井忠以(ただざね)(号を宗雅(そうが))の7歳年下の実弟です。 絵画の手ほどきをしたのは、この分野にも非凡な才能があった兄の忠以...
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姫路木綿で借金480億円を完済した姫路藩名家老・河合寸翁(道臣)(かわいすんのう)

江戸時代後期、借金で破たん寸前の姫路藩を立て直した家老がいます。 名前は河合寸翁(道臣)(かわいすんのう)。 財政を再生させるために、特産品の姫路木綿を江戸で専売できるようにしたほか、藩札の発行や、塩田開発、革・染物・人参・焼き物等の生産奨励など様々な改革を実行しました。
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酒井抱一の実兄の姫路城主・酒井忠以(宗雅)も芸術に秀で、一級の茶人大名でした。

姫路城主に、絵画、茶道、能、俳諧、和歌にも非凡な才能を示し、江戸時代後期の代表的な大名茶人の一人と言われる城主がいました。特に絵画と茶湯にかけた情熱は並々ならないものであったといわれています。酒井忠以(さかいただざね)、宗雅と号した姫路城主です。
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「引っ越し大名」と呼ばれた姫路城主・松平直矩(まつだいらなおのり)。父の代から7度の引っ越し。

松平直矩(まつだい-なおのり)は、7度の転封(国替え)を経験したことから「引っ越し大名」とも呼ばれた江戸時代前期の大名です。1年前に引っ越したかと思ったら、またその1年後にも転封を命じられたりする転勤族です。江戸時代にもそんな辛い目に遭っていた大名がおりました。
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徳川宗春の生き方が影響?花魁・高尾太夫と姫路城主・榊原政岑と姫路ゆかたまつり

同じ時代を生きた姫路藩主・榊原政岑と御三家のひとつ尾張藩主・徳川宗春。ふたりとも、倹約令を出し、緊縮政策をとる8代将軍・吉宗に対抗するかのように生きました。宗春は政岑の生き方に影響したのでしょうか?花魁・高尾太夫と政岑が関係する姫路ゆかたまつりの由来は?
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歴代姫路城主の中で最も異彩を放つ風流大名・榊原政岑。

吉原遊郭は遊女・高尾太夫の身請けの主は姫路藩当主 ・榊原政岑(さかきばらまさみね)だった。その身請け金が1800両との2500両ともいわれる大金でした。現在のお金で3億円か?・・とも言われています。歴代姫路城主の中でもひときわ異彩を放つのが、榊原政岑です。榊原政岑ってどんなお殿様だったのでしょうか?
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姫路城の歴代城主はものすごくたくさんいる。

姫路城はたくさんの城主が交代で入っています。関ケ原後の江戸時代だけでも32人もの城主が交代しています。他のお城に例を見ない多さです。どうしてたくさんの城主が誕生したのでしょうか。姫路の立地が徳川幕府にとって最重要拠点であり、さらには姫路が豊かな地であったことによるものです。
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姫路城のおすすめ駐車場の近い&安いを詳しく説明

姫路城周辺でお城から近い駐車場、料金の安い駐車場、バイク駐車可能な駐車場、少し離れていても、周辺駐車場が満車で入り待ちがかなり長時間かかるとか、周辺道路が混雑で動かないときの駐車場などを紹介していきます。
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