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八百屋お七の墓はどこ?幼い「八百屋お七」の切ない恋の物語。

八百屋お七

江戸時代、好きになった恋人に会いたいがために、放火してしまった美しい少女の話を知っていますか?

お七の悲恋の物語。

天和2年12月28日に江戸で大火がおこりました。
江戸本郷駒込の八百屋の娘「お七」の家も焼けてしまいます。
お七は、お寺に避難したときに見染めた寺小姓と恋仲になります。
家が再建され、寺小姓と離れ離れになってしまい、お七の切ない恋心が一層募ります。
再会したい一心で放火して、
火刑に処せられます。

八百屋お七の物語は別記事にまとめています。

八百屋お七の恋の炎
八百屋お七の切ない恋の物語。火をつけてしまった狂おしい恋心

お七は16歳。愛おしい恋人に会いたくて会いたくて、その一心で、思いつめた少女が、自宅に火を放ち、近くの火の見櫓に上る。 「あぁ・・・吉三・・・吉三・・」と、恋人の名前を呼びながら、無我夢中で半鐘を叩き ...

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そのお七の墓は、
東京の円乗寺にあります。
そして、千葉県八千代市の長妙寺にも、

岡山県御津町にも、お七の墓があります。

八百屋お七の墓はどこにある?

東京の文京区白山の円乗寺

お七のお墓は、円乗寺参道西側にあります。
お墓は3基。
昔は屋根がなかったそうですが、現在は屋根が造られています。

3基の中央は、円乗寺の住職が供養のために建てたものです。
中央のお墓が丸く削られていますが、これは、一時期、お七のお墓を削った石粉をもっていると御利益があるという噂がひろまり、墓石が削られてしまったということです。
右側のお墓は、寛政年間に歌舞伎役者の岩井半四郎がお七を演じたことが縁で、お七を供養するため建立したものです。
墓碑正面に「妙栄禅定尼」とお七の戒名が刻まれています。
左側のお墓は、まだ新しく、町内の有志がお七の270回忌法要のために建てたものです。
墓は3基あるが、中央は寺の住職が供養のために建てたもの。

【所在地】東京都文京区白山1-34-6
【お問い合わせ先】03-3812-7865
【交通のご案内】都営地下鉄三田線「白山」駅より徒歩約1分

岡山のお七のお墓

岡山市北区御津吉尾に「八百屋お七の墓」があります。

説1
「恋人」吉三郎はお七を供養するために、全国を行脚しました。
そして、この地で亡くなります。
村人が二人を供養するため、墓石を二つ建てます。
お七と吉三郎の比翼塚です。

説2
江戸本郷追分の八百屋の娘のお七は、1682(天和二)年の火事で家が焼け、正仙寺に避難したところ、寺小姓と恋仲になりました。
吉三郎という者が、お七に火事になれば恋人に会えるとそそのかし、お七は翌年放火し、火刑になりました。
吉三郎は反省し、お七の分骨を持って諸国行脚の旅に出ます。野々口・小山村で亡くなりました。村人がここにお七の分骨とともに手厚く葬り、二人の墓を建てたと伝えられています。
左側の三角形のものがお七の、右側の長方形のものが吉三郎の墓です。

お七が登場する物語で一番有名なものは、井原西鶴の『好色五人女』(貞享三年=1686)です。
その『好色五人女』では、お七の焦がれた人は、小野川吉三郎です。
『近世江都著聞集』(宝暦七年=1757)では、お七の恋仲は山田左兵で、吉三郎は、また火事になれば佐兵に会えるよと放火を唆した悪役です。後に、お七とともに処刑されます。
井原西鶴が参考にしたという『天和笑委集』(貞享年間)では、恋仲は生田庄之助であり、吉三郎は登場してません。

千葉の長妙寺

お七は、もともと千葉県八千代市の萱田町でに生まれ、江戸本郷の八百屋八兵衛の養女となったということです。
墓石には、天和2年(1682)3月29日とお七の命日が刻まれています。

【所在地】千葉県八千代市萱田町640
【お問い合わせ先】047-483-1687
【交通アクセス】
東葉高速鉄道八千代中央駅下車 2番乗り場から東洋バス八千代台駅行き「市役所前」下車 徒歩5分
京成電鉄八千代台駅西口下車 1番乗り場から東洋バス八千代医療センター行きまたは八千代中央駅行きで「市役所前」下車 徒歩5分
コミュニティバス南部コース「大和田小学校」下車

東京の文京区本駒込の吉祥寺

お七(しち)・吉三(きちざ)の比翼塚(ひよくづか)があります。井原西鶴の「好色五人女」では吉祥寺に避難し、吉三郎と恋仲になるのでそれにちなんで建てられたものです。
1966(昭和41)年に建立されました。

【所在地】東京都文京区本駒込3-19-17
【お問い合わせ先】03 - 3823 - 2010
【交通アクセス】
東京メトロ南北線「本駒込」駅より徒歩7分
都営地下鉄三田線「白山」駅より徒歩12分

東京の文京区白山の大円寺

地蔵尊は、寺小姓恋しさに放火の大罪を犯し、火あぶりの刑を受けたお七を供養するためせられた焙烙(ほうろく)(素焼きのふちの浅い土鍋)を頭に乗せ、お七の身代わりとして、焼かれる苦しみに耐える地蔵として安置されてます。享保4年(1719)渡辺九兵衛という人がお七供養にと寄進したといわれています。

お七が寺に避難することとなった天和の大火の火元はこの寺での出火が原因でありました。

【所在地】東京都文京区向丘一丁目11番3号
【お問い合わせ先】03-3813-1321
【交通アクセス】東京メトロ白山駅から徒歩で5分

まとめ

八百屋のお七のゆかりの地はいろいろなところにあるようです。

井原西鶴をはじめお七の話が語り伝えられていますが、歴史資料としては、 戸田茂睡の『御当代記』で 語られている
「お七という名前の娘が 放火し 処刑されたこと」だけです。

それぞれの場所を訪ねてお七に思いを馳せるのも一興ですね。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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