「忘八(ぼうはち)」って、どこか怪しげな響き…でも実際どんな意味かご存じですか?
この言葉、実は“人としての道を完全に踏み外した者”という、強烈な意味を持っています。
もともとは儒教の「八つの人倫」を忘れた者という由来からきており、江戸時代には遊郭や風俗業に関わる人々を指す蔑称としても使われていました。現在では、差別的なニュアンスを含む言葉として扱い方に注意が必要です。
この記事では、「忘八」の語源や歴史的背景、現代での意味や注意点まで、丁寧かつユーモアも交えながらわかりやすく解説しています。
気になるけど、ちょっと怖い…そんな言葉の裏側、のぞいてみませんか?
忘八とは何か
「忘八(ぼうはち)」という言葉、普段の会話ではあまり耳にしませんよね。
実はこれ、人としての基本的な道徳を忘れてしまった人を表す、かなり強烈な表現なんです。
歴史的には、遊郭などで働く人や、そうした職業を斡旋する業者を軽蔑的に呼ぶときに使われていました。今でいうところの“モラルが完全に崩壊した人”というイメージに近いですね。
ただし現代では、差別的な意味合いが非常に強い言葉でもあるため、日常的に使うことは避けられています。
一言で言えば「忘八」とは、“人として大事なものを全部忘れてしまった人”。
それほどまでに“人倫に背いた行い”と結びついている、歴史ある(けれど扱い注意な)言葉なんです。
忘八の語源と意味
「忘八」という字面からして、なんだかただならぬ雰囲気が漂いますよね。
実はこの言葉、中国の儒教思想に由来する“八つの人倫”を忘れた者という意味からきています。
ここでいう“八”とは、以下の人間関係を表します👇
- 父
- 母
- 兄
- 弟
- 夫
- 妻
- 子
- 友
つまり、家族や親族、友人といった人とのつながりすべてを“忘れてしまった”ような非道な人間を、「忘八」と呼んだんですね。
語源的にはかなり古く、中国の思想から江戸時代の日本に伝わり、特に遊郭や風俗関連の世界で定着したとされています。
意味だけ見ると“怖っ”と思ってしまいますが、当時の価値観や社会構造が背景にあるため、単なる悪口というより文化的・道徳的なレッテル貼りに近い表現でもあったんです。
八つの人倫とは
「忘八」の“八”は、さきほど触れたように儒教における人として守るべき八つの関係性=人倫を指します。
💡具体的にはこの8つ:
- 父と子の関係(親子)
- 母と子の関係(親子)
- 兄と弟の関係(兄弟)
- 夫と妻の関係(夫婦)
- 自分と友人の関係(友情)
つまり、人が人としてあるべき基本的なつながりすべてを指しており、それらを忘れてしまうことは、社会的にも人間的にも“終わっている”と見なされたわけですね。
儒教では、家族や友人との関係を大切にすることが道徳の基本。そのすべてを放棄した者=忘八というわけです。
今の感覚で言えば、「人として最低限のモラルも思いやりもない人」を表す、かなり強めの表現になります。
忘八が使われた歴史的背景
「忘八」という言葉が使われ始めたのは、主に江戸時代の遊郭文化の中でした。
当時、遊女を雇ったり、女郎屋を営んだりする男性をさげすんで呼ぶときに、「忘八者(ぼうはちもの)」という言い回しが使われていたんですね。
この背景には、「家族や人との絆を大切にすべき」という儒教的な価値観が色濃く影響しています。
親から授かった体を売ることや、それを仲介する人は“人としての道を踏み外している”とされ、強く非難されたのです。
さらに、当時の遊女の多くは貧困や家庭の事情で売られていた背景があり、その状況を利用して利益を得る者は“非人道的”とされていました。
つまり、「忘八」は単なる悪口ではなく、社会からの強烈な道徳的非難を込めた言葉だったんです。
現代の感覚でいえば、“倫理観ゼロで搾取する人”という感じでしょうか。言葉の持つパワーが強いのも納得ですね。
江戸時代における忘八の使われ方
江戸時代の遊郭や色町では、「忘八」はかなりリアルに使われていました。
特に、遊女の元締めや仲介人として働いていた男性たちは、“忘八”というレッテルを貼られることも日常茶飯事だったようです。
とはいえ、彼らは社会の裏側で必要とされる存在でもあり、表では非難されつつも、実際には経済や人の流れを支えていたという側面もあります。
面白いのは、当時の書物や落語などにも“忘八”という言葉が出てくる点。
たとえば、「あの忘八者めが〜」なんてセリフがあり、今で言う“最低なやつ”に近いニュアンスで使われていたんです。
ただし注意したいのは、当時の感覚では道徳的に“最下層”と位置づけられていたこと。
だからこそ、現代で使う場合は、その歴史的な背景と重いニュアンスをしっかり理解しておく必要があるんですね。
忘八が遊郭で使われた理由
なぜ忘八という言葉が、よりによって遊郭で多用されたのか?
それは、当時の社会が遊女という存在を“必要悪”として扱っていたからです。
表向きは「道徳に反する」「不浄な仕事」とされながら、実際には幕府公認の遊郭が存在し、経済的には大きな役割を果たしていました。
この“表と裏の矛盾”の中で、遊女を扱う業者=忘八者という構図が自然と生まれていったわけです。
遊郭に関わることは、儒教的な道徳観では“八つの人倫”すべてを踏みにじる行為とされました。
親の教えに背き、家族を捨て、子どもに恥をかかせ、友情も裏切る——そんな極端なイメージが、「忘八」に集約されていたんですね。
つまりこの言葉は、単なる悪口以上に、“人間失格レベル”のレッテルを貼るためのツールだったとも言えるでしょう。
現代にそのまま使うには、かなり注意が必要なワードです。
忘八という言葉の差別的ニュアンス
現代において「忘八」という言葉を使うことは、非常に注意が必要です。なぜなら、この言葉には明確に差別的なニュアンスが含まれているからです。
もともと「忘八」は、特定の職業や立場の人を見下したり、社会的に貶めるために使われてきた言葉。特に、遊郭や風俗産業に関わる人を対象とした蔑称として、長く使われていました。
現代の感覚では、こうした言葉は「差別用語」または「ハラスメント発言」として取り扱われることも多く、軽々しく使ってしまうと誤解やトラブルの原因になります。
たとえばSNSやネット掲示板で、「あいつは忘八だ」なんて書き込めば、それだけで炎上の火種になりかねません。
意味がわからずに使ってしまうと、無意識のうちに誰かを傷つけてしまう可能性があるんです。
そのため、この言葉に触れるときは、歴史的な背景と社会的な意味合いを理解したうえで、慎重に扱う必要があると言えるでしょう。
現代での使い方と注意点
では、「忘八」という言葉は、現代ではどう扱えばいいのでしょうか?
結論から言うと、日常会話やSNS、ビジネスの場などで使うことは避けるべきです。
理由は明確で、言葉そのものが“侮辱目的”で生まれた過去を持つため、誤解を生みやすいからです。
もしこの言葉に触れる場面があるとすれば、たとえば:
- 歴史や文学の中で語られる際の説明
- 江戸時代の社会構造や文化を学ぶ文脈
- 差別語や蔑称の研究や考察など、学術的な話題
このように、「背景を語る」「考察する」という目的がある場合のみであれば、使うことはできます。
ただし、その場合でも「この言葉には差別的な歴史があります」といった断りや注釈を入れるのがマナーです。
間違っても、誰かをののしる目的で口にするようなことは避けましょう。
歴史に学ぶことは大切ですが、言葉の“暴力性”に鈍感になってはいけませんよね。
忘八と無道の違い
似たような響きの言葉に「無道(むどう)」というものがあります。これもまた“道徳に反した行為”を指す言葉ですが、「忘八」とは少し意味が異なります。
項目 | 忘八 | 無道 |
---|---|---|
意味 | 八つの人倫を忘れた者(極端な非道) | 道理・道徳に反する行為または人物 |
ニュアンス | 差別・蔑称としての意味が強い | 抽象的・道徳的批判として使われる |
使用場面 | 歴史的、または差別語として注意が必要 | 比較的一般的な道徳批判として使用可能 |
たとえば、「無道な行い」と言えば、「あの人のやり方は非常識だよね」といった意味合いになりますが、「忘八なやつ」となると一気に人格否定レベルの暴言になってしまいます。
つまり、「無道」はまだ“道徳的な批判”の範囲にとどまりますが、「忘八」は“存在自体を否定する言葉”とも取れる強さがあります。
使い方を間違えると、自分の品位まで下がってしまうので要注意です!
忘八と道徳の関係
「忘八」という言葉は、その成り立ちからして**“道徳的に完全にアウトな人”**という意味を内包しています。
八つの人倫をすべて忘れた、つまり人として守るべき関係性やモラルを完全に放棄した存在。それが“忘八”なのです。
儒教では、道徳とは社会秩序を支える根本的なルールのようなもの。親を大切にする、兄弟を敬う、夫婦は信頼し合う、子どもを慈しむ、友と誠実に接する…。それらがすべて失われた状態は、もはや“人として成立していない”とされました。
この価値観は、江戸時代の道徳教育や身分制度とも深く関わっており、「忘八」は単なる悪口ではなく、社会から完全に排除されることを正当化する言葉として使われていた一面もあるのです。
現代では、「道徳=ひとつの正解」ではなくなりつつありますが、それでも“他者を大切にする姿勢”はどの時代でも大切。忘八のような価値観の押し付けには気をつけつつ、私たち自身の倫理観を育てることが必要です。
類語・近い表現との比較
「忘八」のように、人間性の欠如や非道徳的なふるまいを表す言葉はいくつか存在します。ここでは似た意味を持つ言葉とその違いを比較してみましょう👇
言葉 | 意味 | 忘八との違い |
---|---|---|
無頼漢(ぶらいかん) | 無法者、ならず者 | 法や秩序に従わないが、差別語ではない |
不届き者(ふとどきもの) | 無礼・道徳に反する者 | 忘八より軽めの道徳的非難 |
非人(ひにん) | 身分制度で最下層とされた人々 | 社会制度上の分類、差別用語として問題視されている |
極悪人 | 極めて悪質な人物 | 忘八より現代的でやや軽い印象 |
これらの中でも「忘八」は、人格や道徳の根本を否定するほどの強い意味を持ちます。
そのため、たとえ似たニュアンスの言葉であっても、「忘八」を使う際にはより慎重な配慮が求められます。
表現の自由は大事ですが、相手や読者の受け取り方も想像しながら言葉を選ぶようにしたいですね。
忘八という言葉の是非
「忘八」という言葉は、歴史的に見てもインパクトが強く、意味も深い。
しかし、現代においてその使用は非常にセンシティブです。
- 差別的な意味合いが含まれている
- 特定の職業や立場に対する侮蔑として使われてきた
- 人格否定に近い表現で、相手を深く傷つける可能性がある
こういった背景をふまえると、基本的には使うべきではない言葉と考えるのが無難です。
特にSNSやメール、日常会話など、不特定多数に届く場では絶対に避けたいワードです。
ただし、歴史的・文化的背景を正しく学ぶことは大切です。
「こんな言葉があった」「こんな価値観があった」と知ることで、逆に今の私たちがどう生きるべきかが見えてくることもありますよね。
忘八に対する現代的な視点
現代では、「忘八」のような極端なレッテル貼りは、むしろ時代遅れで危険な考え方とされています。
人間関係や道徳観は多様化しており、“八つの人倫”という考え方自体がすべての人に当てはまるとは限りません。
たとえば、親との関係が良くない人もいれば、結婚しない人生を選ぶ人もいる。
友達との付き合いを重視しない生き方だって、まったく問題ありませんよね。
だからこそ、現代の視点から見ると、「忘八」という言葉が持つ“人間関係の型に合わなければダメ”という価値観は、かなり一方的で排他的に映ります。
私たちは、“正しさ”の形を他人に押し付けるのではなく、互いに違いを認め合える社会を作る方向へ進んでいるはず。
そんな今だからこそ、昔の言葉をただ排除するのではなく、意味と背景を学んだ上で、どう向き合うかを考えていきたいですね。
✅ まとめ
「忘八」は、人とのつながりや道徳をすべて無視するような極端な行為を表す、歴史ある言葉です。
その背景には、儒教的な価値観や江戸時代の社会構造が深く関わっており、現代でも扱い方には十分な配慮が必要とされています。
✅この記事の要点まとめ
- 忘八とは、八つの人倫(親・子・兄弟・夫婦・友)を忘れた非道な人物を意味する
- 江戸時代には遊郭関係者をさげすむ言葉として使われた歴史的背景がある
- 現代では差別的な用語として、日常的な使用はNG
- 類語との違いや、現代的な道徳観とのズレを理解することが大切
言葉は時代とともに意味が変わり、受け止められ方も変化していきます。
「忘八」という一見マイナーな単語から、日本の価値観や社会のあり方まで学べること、意外と多いかもしれませんね😊
最後までご覧いただきありがとうございました。