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高田賢三さんと姫路市。兄弟、実家、そして、KENZOファッションショー。

ファッションデザイナーで「KENZO(ケンゾー)」ブランドの創業者の高田賢三(Kenzo Takada)さんは兵庫県姫路市の出身です。

高田賢三さんは、年に1度はフランス・パリから帰国していました。

「姫路城はどこから見てもきれい。バランスがいい。美しい城の町で生まれ育ち本当によかった」
とも。

この記事では、世界的デザイナーの高田賢三さんの兄弟や生い立ち、そして、ふるさと姫路にかかわったことをまとめました。

 

高田賢三さんの兄弟と実家

高田賢三さんは、昭和14年(1939年)2月27日、姫路市内の「浪花楼」という日本旅館の三男として生まれます。

兄弟は、兄2人、姉2人、弟2人の7人もいました。

年齢の近い姉2人と遊ぶことが多く、幼いころから姉たちの習う洋裁やファッション誌に影響を受け服飾に興味を抱くようになります。

姫路市立野里(のざと)小学校、姫路市立広嶺(こうりょう)中学校、兵庫県立姫路西高等学校を卒業。

「勉強は嫌いでしたが成績は良く、高校は地元の進学校へ。高校時代は勉強ばかりで、楽しい青春はなかった。」

そうです。

また、

「僕の子供の頃というのは娯楽がほとんどなかったんです。
テレビもない、
ラジオと映画くらいですかね。
なので学校以外の時間は、ほとんど映画館にいました。

映画は、邦画も洋画もたくさん観ました。

映画で夢を見たり、希望を抱いたり。
それで外国に住みたいという思いも出てきました。」

と高田賢三さんは語っています。

本当は洋裁学校に行きたかったのですが、
当時の日本には男子を受け入れる服飾学校はありませんでした。

仕方なく、外国に興味があった高田賢三さんは、神戸市外国語大学2部英米文学科に進学します。

 

文化服装学院が男子生徒を初募集。

でも、大学は退屈でした。

大学入学後の6月、「文化服装学院が男子生徒を初募集」という雑誌の記事を見つけ、
「どうしても行きたい」と親に相談しますが、親は猛反対。

しかし高田賢三さんは、
夏休みに貯めたアルバイト代を使って上京してしまいます。

 

高田賢三さん、ファションの世界へ

服、ペンキ屋に住み込んで昼は仕事、夜は隅田房子スタイル画研究所に通いました。

そんな高田賢三さんを認めてくれたのはお母さんでした。
入学を許してくれたのです。

大学を中退しての文化服装学院入学でした。
1958年です。

そこから高田賢三さんのファッションの歴史がスタートしたのです。

同期には、コシノジュンコさんや金子功さん、松田光弘さんなど大成したデザイナーが多く在籍し、高田賢三さんも含め「花の9期生」と呼ばれています。

 

1960年、新人デザイナーの登竜門「装苑賞」を受賞しました。

 

高田賢三さん、パリへ

銀座三愛勤務などを経て、
1965年に、アジアやアフリカなどの国々を巡りながら、1ヶ月もの船旅をの末にフランスのパリへと渡ります。

当初、6カ月の予定でパリへ船で向かったのですが、そのまま住みつくことになりました。

1970年に、現地でデザイン画を売りながら生計をたてていた高田賢三さんは、パリ2区にある小さなモールが立ち並ぶギャルリ・ヴィヴィエンヌで、プレタポルテにある小さなブティックである「ジャングル・ジャップ」(現在のケンゾー)をオープンします。

また、同年に着物地のワンピースがファッション誌『ELLE』の表紙を飾ると、KENZOブランドはパリ・コレクションで注目されるブランドへと成長を遂げるのです。

色鮮やかな花柄を多用し、
そのカラフルな色彩使いから、
色の魔術師と呼ばれ、
パリのプレタポルテを牽引し、
世界で活躍する日本のファッションデザイナーとなりました。

 

ふるさとの姫路城で、野外ファッションショー「ケンゾー IN HIMEJI」

平成元年(1989年)5月、ライトアップされた姫路城大天守を借景に、広大な三の丸広場で、高田賢三さん自身初の大規模な野外ファッションショーが開催されました。

ふるさとである姫路市の市制100周年記念行事「姫路百祭シロトピア」の一環として開催された大イベントです。

四季の作品435点、公募を含むモデル118人という国内最大級のショーが3夜に渡って開かれました。
初日は雨にたたられ延期となったのですが、以後、3夜連続で開かれました。

雨にたたられた翌日、高田賢三さんは一人思い立ち、姫路城大天守の最上階まで駆け上がります。
そして、天守最上階に祀られている地主神・刑部(おさかべ)神社にそっと1枚の一万円札を置いたのです。

高田賢三さんの願掛けが効いたのか、その日から3日間天候が回復したという逸話があります。

ショーは、フランス国旗を意識したドレスから始まり、最後は千姫をイメージした純白の花嫁を登場させ、消していた天守を照らすライトを点灯させ天守群を漆黒の闇に浮かび上がらせました。

そして、終演後、高田賢三さんは割れんばかりの拍手の中、観客が待つ舞台に登場します。

 

姫路市立美術館でのKENZO展

平成元年(1989年)4月29日から6月4日まで、姫路市立美術館で「KENZO展 姫路城とパリのファンタジー 」が開催されました。

この展覧会も、姫路城での「ケンゾー IN HIMEJI」と同様に、姫路市の市制100周年を記念して開催されたイベントの一環です。

このKENZO展で「KENZO選集」が制作されています。
「ケンゾー IN HIMEJI」と「KENZO展 姫路城とパリのファンタジー 」の作品集です。

表紙1枚、ファッション写真3枚、スタイル画16枚、スタイル画解説1枚、ケンゾー略年譜1枚、ごあいさつ1枚、奥付1枚、計24枚の用紙がボックスに収められています。
(姫路市立美術館、姫路100周年行事実行委員会/1989年/函、用紙/30.5 ×45.8×1.4 cm (函)/24枚)

姫路城の日本初の世界文化遺産登録を記念して「’94/’95コレクション」を姫路市で発表

平成6年(1994年)年5月14日と15日、
姫路城の日本で初めての世界文化遺産登録を記念して開催されたリレーイベント「キャスティバル’94」の一環として、「KENZO ’94/’95コレクション」を姫路市で発表しました。

ファッションショーの会場は、姫路駅からのすぐ南にある手柄山中央公園内にあった厚生会館という施設です。

2日間、1日3回公演され、合計1万5千人の観客がファッションショーを堪能しました。

ファッションショーの構成は、
オープニングに始まり、姫路城世界遺産登録を祝福するシーン、
’94/’95秋冬コレクション、くるみ割り人形、
そして、フィナーレまでの1時間20分。

舞台に本物の白馬も登場しました。

その間、レデースコレクション128点、メンズ78点、他にこども服11点の
合計206点のKENZO衣装が披露されたのです。

このショーに出演したモデルは、37人、レデース25人(うち外国人18人)、メンズ12人(うち外国人11人)です。

特別出演として涼風真世さん。
そして、フランスのスペクタル・パフォーマンスチーム17人と
公募の子どもモデル10人が参加しています。

 

新しい姫路市のホールの緞帳(どんちょう)のデザイン

姫路駅北東部に2021年(令和3年)9月オープンの「姫路市文化コンベンションセンター(アクリエひめじ)」の緞帳(どんちょう)のデザインを高田賢三さんが描きました。

同センターの大ホールと中ホールに備え付けられる緞帳です。

華やかさとエネルギーをホールに与えたいという願いを込め、
大ホール用は、中心に朝日、周囲にシャクヤクの花が広がる華やかな図柄で明るく輝く姫路城もあしらっています。
横22メートル、高さ12メートルです。

そして、中ホール用は、赤く燃えるような夕日を中心に配し、これも姫路城を描いています。
横18メートル、高さ10・5メートルです。

いずれも西陣つづれ織りの豪華な仕様となります。

 

大ホール           姫路市HPより

中ホール           姫路市HPより

 

姫路駅前のキャスパホールというホールがあります。
331席の小さなホールですが、ほとんど毎日のように催し物があり市民に親しまれているホールです。
このホールの緞帳も高田賢三さんのデザインです。

タイトルは「黎明(れいめい)」。
朝の光に咲き誇る大輪の薔薇をデザインしています。

アクリエひめじで「夢 高田賢三 展」を開催

高田賢三さんの足跡を綴った回顧展を令和3年7月11日から8月15日まで開催。

詳しくは、この記事で。

姫路市出身の世界的デザイナー高田賢三さんの回顧展「夢 高田賢三」展に行ってきました。

姫路市出身で、昨年(令和2年)10月4日に、パリで亡くなった世界的デザイナー高田賢三さんの功績を伝える「夢 高田賢三 展」が7月11日、姫路市文化コンベンションセンターではじまったので行ってきました。 ...

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賢三さんのご冥福をお祈りします。

賢三さんの自伝です。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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