井崎英典さんって誰?バリスタ世界チャンピオンへの道

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「世界一のバリスタ完全監修」のカフェラテ。

マクドナルドのカフェラテをプロデュースした井崎英典さん。2014年バリスタの世界チャンピオンです。

グレてた15歳の井崎少年を、お父さんの「コーヒーやらんか?」が変えました。
コーヒーを愛する父との絆
ゲロは吐くまで繰り返し試飲したバリスタ虎の穴の修行。
自分のコーヒー豆を求めて、地球の反対側コスタリカへ。

日本人初のバリスタ世界チャンピオン・井崎英典さんの物語を紹介します。

 

貧乏だった少年時代、コーヒーを家族で飲む一家団欒が幸せの時間

井崎さんのご両親は、福岡でコーヒー豆の販売店を営んでいました。今から20年ほど前のことです。

井崎さんのお父さん(克英さん)が
「英則どげんした?」
「別に用事はなかばってん」
「ばってん(×)やなか、まる(〇)やろ」
親父ギャグ好きのお父さんでした。

そのお父さんは、できるだけいい豆を求め、海外まで足を運んでコーヒー豆を買い付けていました。
そして、買い付けた豆に合わせて丁寧に焙煎をし、お客さんに提供していました。
しかし、その当時はコーヒーにこだわりのある人は少なく、どれも同じと考える人ばかりで、お父さんのこだわりは全く理解されませんでした。

折角、高い豆を買い付けてもさっぱり売れません。店は大赤字でした。
借金もあり、生活は苦しかったのです。

借金のせいで働きづめのご両親でしたが、家族で過ごす時間を大切にしてくれました。
お父さん、お母さん、英典さん、弟、祖父母。

夕食後おかあさんが急須でいれたコーヒーを飲むことがなにより楽しい一家団欒でした。
「ブラジルの品評会で一番をとった豆やど。ぶたじる(豚汁)やなかぞ、ブラジルやぞ。(笑)」
お父さんの親父ギャグです。

コーヒーを飲んでいると家族とつながる。
ホッとする。幸せな時間だった。
と井崎さんは振り返ります。

とはいえ、小学生だった井崎少年に貧乏生活が影を落としていました。
自転車を買ってもらえず自転車でいく友達のあとを走ってついていく日日を過ごしています。

高校中退、「コーヒーやらんか?」

井崎さんは運動神経がよかったので、中学を卒業すると、北九州のバトミントン強豪校に特待生として入学します。

しかし、強豪校での求められるレベルが桁違いに高く、半年後には練習についていけなくなる。

15歳です。
苦い挫折を味わった井崎さんの生活は、親元を離れていたこともあり、次第に荒れていきました。
目標とするものがなくなり、なにもかもが、おもしろくないわけです。
友人との遊びだったり、親の目のない下宿で友人たちと朝までだべる方が楽しい。
他校の生徒とのケンカもしょっちゅうでした。

そして、ついに警察のお世話なったのです。

お父さんが福岡から警察署まで迎えにきてくれます。
「ほんとうにすみませんでした」
警察で、何度も深く頭を下げるおとうさん。
力なく
「じゃあ、いこうか」
軽口ばかりたたいているおとうさんもこの日は何も言いませんでした。

結局、井崎さんは1年で高校を中退します。

社会のレールから外れてしまった、そう感じた井崎さんは、引きこもりがちになりました。

真っ暗。何も見えない。
自分でもこのままじゃダメだと思っていたが、でも一歩踏み出す勇気もなかった。
もがけばもがくほど抜け出せない沼。
そんな風に井崎さんは思いました。

そんなある日、突然、お父さんが、井崎さんの部屋に入ってきます。
お父さんがコーヒーを持ってきたのでした。

「英典、これからどうすっと?」
「わからん」
少し沈黙。
「コーヒーやらんか?!」
とお父さん。

「親としては機会を与えようかなと。
後どうするかは本人次第。
いやコーヒーは嫌いと言えば、
それはそれでいいし。」
と思ってお父さんは井崎さんを誘います。

「まあ、自分の人生やから自分で決めれ」
「うん。」

お父さんはさらっ言った言葉に
ハッと。
やってみたいなと
これは一つにチャンスになるかもしれないな
自分を変えるチャンス。

勉強しろって一回も言われたことない。
何々しろって言われたことないし怒られたことない。
お父さん初めて提案してくれた
「コーヒーやらんか?」

井崎さんは思いきっておとうさんの言葉にのり、
コーヒー人生の第一歩を踏み出すことにしたのでした。

バリスタ、かっこいい。世界チャンピオンへの道へ踏み出す。

コーヒー人生の第一歩を踏み出すことにしたのでした。
するとすぐ、コーヒーの想像以上に奥深い世界にはまっていきます。

コーヒーの味を確かめるカッピング。
「なにこれ、コーヒーやのにコーヒーの味がせん」
「これはエチオピアのコーヒーやぞ。」
「レモンティみたいや。華やかな味やね。」
「そうやろ、これもんスペシャルティコーヒーやぞ」

スペシャルティコーヒーとは
こだわりの方法で生産された特別なコーヒー豆。産地によってまったく異なる特徴があり、実に多彩な風味をもつコーヒーです。
(スペシャルティコーヒー)
日本スペシャルティコーヒー協会の評価基準をクリア
トレーサビリティ(Traceability)。生産者がだれで、いつどこでどういうふうにつくられたものなのかがわかるものです。

花みたいな香りもする、紅茶みたいな香りもするし、レモンティーみたいな味もする。

コーヒーって面白いなと思いました。

そんな時、お父さんが海外で手に入れた一冊の雑誌が目に止まります。

「バリスタマガジン」

業界の専門誌です。
いろんな外国人が載っていました。
井崎さんは「かっこいいな」と思いました。
まず、「バリスタ」という言葉の響きがかっこいいと。
そして、モテそう。と

バリスタ、それはコーヒーの味わいを最高に引き出す高い技術をもち、客に提供するプロフェッショナルです。

そして、その技を競う世界大会があることをしります。

ワールドバリスタチャンピオンシップです。
1年に一度、50を超える国や地域から代表バリスタが技を競い、世界チャンピオンを決めます。
過去には日本人はもちろんアジア人の優勝もありません。

審査員が提供されたコーヒーに得点をつけていきます。
審査のポイントは3つ。
まずは、いれたコーヒーのおいしさ。
そして、抽出の技術
勝負を決めるのがそのコーヒーの魅力を伝えるプレゼンテーションです。

世界チャンピオンになるとあのバリスタマガジンの表紙を飾ることができることを知ります。

井崎さんはガゼンやる気になります。

世界チャンピオンになりたいあ。バリスタマガジンの表紙になりたい。
実によこしまな理由でしたが、
そこから始まったのです。

 

まず、日本代表を目指そうと国内大会に出場します。当時まだ17歳でした。
ジャパンバリスタチャンピオンシップ2007。

自暴自棄になっていた自分を救ってくれたコーヒーに感謝しながら、精一杯頑張りました。

が、結果は予選敗退。
それでもここから、井崎さんは世界チャンピオンへの道を歩み始めることになったのです。

虎の穴での壮絶は修行

本格的に修行するために、コーヒーの神様といわれている人に弟子入りします。

2009年4月

バリスタ世界チャンピオンをめざしてはいったのは長野小諸にある喫茶店でした。
ここはバリスタ日本代表を何人も排出している名店です。

腕に覚えのあるものたちが全国から集まってきて、切磋琢磨する、いわば「バリスタ虎の穴」。

虎の穴のボスは丸山健太郎社長。

世界を股にかけて、スペシャルティコーヒーを買い付ける日本屈指のバイヤーです。
丸山社長は日本からバリスタチャンピオンを出したいという悲願をもっていました。

日本がほんとにコーヒー飲むの?
いいコーヒー買うの?
バリスタいるの?
知ってるバリスタ?
一流の消費国には一流のバリスタがいる。それを証明したいと思っていたのです。

丸山社長の指導はお父さんより段違いに厳しいものでした。

コーヒーの味見をするカッピング
風味の表現の仕方を徹底的に仕込まれます。
コーヒーの風味は果物やナッツの味にたとえて表現される
その数100種類近く。
それをさらに組み合わせ、繊細な味わいを的確に表現することを求められるのです。

コーヒーは豆の挽き方や抽出量、温度などによって風味が大きく変わります。

最高の味を引き出す方法を求めて、ひたすら試作と試飲を繰り返しました。

一日に何十杯も飲む。作っては飲みまくる。

ゲロはくまで飲み続けるのが普通の毎日。

納得した一杯ができると丸山社長に試飲してもらうのですが、しかし、そこはバリスタ虎の穴。
美味しいっていわれたことは一回もありません。

師匠であり神のような存在でもあった丸山社長。

挫折、再び世界を目指すと決めた

丸山社長のもと修行を続けて3年半が経ちます。

ついに日本代表としてバリスタ世界大会への出場を決めます。
そして井崎さんを日本人初の世界チャンピオンにしたいと丸山社長はサポートチームを結成します。
海外からトレーナーも招き万全な体制で世界一を狙うのです。

その年(2013年)の世界大会は、オーストラリア・メルボルンです。
51の国と地域から代表が集まり、たった一人のチャンピオンをを決めます。

両親や丸山社長も応援に駆けつけました。

コーヒーの豆は丸山社長が選んでくれた極上の一品、コスタリカ中部のコーヒー豆です。
チームで考えた豆の風味を最高に引き出す作り方を審査員にアピールします。

でも、実はこのとき井崎さんは納得できていませんでした。
このコーヒーは自分のコーヒーとはいえない気がしていたのでした。

井崎さんは予選すら突破できなかったのです。

一体何がダメだったのか!

優勝したアメリカ代表のプレゼンをビデオで見かえします。「バリスタである私はコーヒーの「声」であるべきです。
なぜなら、
このコーヒーに関わるすべての人を
私が代表しているからです」

心に突き刺さったのは、
「私が代表している」という言葉。

丸山社長にただ従うだけの自分は自信を持ってそう言うことができませんでした。
本当に心の底からこれが俺の伝えたいことだ!
正しいことだ!という感覚でやっていなかった。
結局は自分がしょうもない、そこの自分がいない
イエスマンだった。
と井崎さんは思いました。

ホテルで落ち込む井崎さんに、手を差し伸べてくれたのはご両親でした。
お母さんがあの懐かしい入れ方でコーヒーを出してくれます。
「なんかもう無理だ、俺。」
「いや、お前しかおらんよ。他に誰がいるとや?
バリスタマガジンの表紙になるんやなかったんか?」
「・・・」
「バリスタのなかでも、バリバリのスターや」

再び世界を目指すと決めます。
そして、人生になかでも最も重く辛い決断をくだすのです。
「社長いろいろありがとうございました。」
社長は井崎さんの言葉を背中で聞きながら
「ああ」
「あの・・」
「なんだ?」
「今回すごく悔しかったので、次回は自分が考えた
自分がやりたいと思うことをやらせてください。」

社長は全能の神です。
でもこれを乗り越えないとまた同じ思いをしてしまう。
自分が自分でいられなくなる。
それだけは絶対さけたい。
決死に覚悟でした。

自分のコーヒーを探す旅に出る。

最大の恩師・丸山社長と訣別し、自分のコーヒーを探す旅に出ます。

自分のコーヒーをさがして。
2014年2月、中米コスタリカへ。

いっしょに豆をつくりたい生産者がいました。
エンリケ・ナヴァロさん。当時22歳。
井崎さんと同世代ながら、コーヒーにかける情熱はだれよりも熱い若者でした。

エンリケの農園があるのは標高2000メートルの山岳地帯です。
空気が薄く、地形も急峻で歩いていくだけで息がきれる場所でした。

その過酷な条件が極上のコーヒー豆を生み出します。
寒暖の差と水はけのよさがコーヒーにキレイな酸味と甘みをもたらすのです。

この農園を切り開いたのはエンリケさんの父ナヴァロさん。
極上のコーヒー豆作りにこだわりくろうを重ねてきました。
しかし、かつては折角のこだわりが無駄になっていました。

生産したコーヒーは農協に買い取られ、他の農園のものと混ぜられていました。
値段も安く買いたたかれ、貧しい生活を強いられていたのです。

その状況を打ち破ろうと改革に取り組んだのが息子のエンリケさんでした。
借金をしてコーヒー豆の小型生産処理機械を購入。
農協に出さずに直販することにしましました。

「機械を買ってしまったからもう後戻りはできないよ
前に突き進むしかないよ。
高品質のコーヒーを作ることができれば、
みんなに認めてもらえると信じて全力で取り組んだ」

井崎さんがエンリケさんを選んだ理由は、
その豆の味だけでなく、
家族の生きざまにひかれたからでした。

井崎さんもまたエンリケさん同様、お父さんに誘われてコーヒーの道に入っています。
苦労を重ねたお父さんの意志を継ぎ、コーヒーの魅力を広めたいと思ったのです。

若い世代の自分たちがコーヒーの世界を変革する。
その志を井崎さんとエンリケさんは共有していました。

エンリケさんはコスタリカのいわゆるスペシャルティコーヒーの生産者の第二世代です。
それは、井崎さんとまったく同じです。
井崎さんも父親がスペシャルティコーヒーの第一世代です。

この世界でのし上がっていこう
野心をもってるふたり
彼と一緒にコーヒーを作りたい

と井崎さんは思いました。

エンリケさんとともに世界チャンピオンへの挑戦が始まります。

目指したのは、誰も飲んだことのない極上のコーヒーです。

農園にある生産処理機械でコーヒーの実を水で洗いながらこすり合わせ果肉を取り除きます。
取り出した種を天日干しにすると、コーヒーの生豆が出来上がります。
井崎さんたちはコーヒー豆の様々な処理方法を試しました。
実を残したり、粘膜を残したり試行錯誤を繰り返します。

「今まで僕たち生産者は軽んじられてきた
でも井崎は違う
僕たちをとても尊重してくれる。
生産者とバリスタがタッグを組まなければ成功しない思っている。
井崎さんが目指したコーヒーは彼の個性や人間性が詰まっていてまさに世界に唯一無二なものだった」
とエンリケさん。

コスタリカの日日の末に井崎さんとエンリケさんは理想のコーヒー豆を作り上げます。

そして日本では世界大会に向け、バリスタ虎の穴で練習を繰り返します。
先輩たちの意見を聞きながらさらに技術を磨く井崎さん。

丸山社長も機械の調達など惜しみないサポートをしてくれました。
しかし、井崎さんのやり方には口出しせず見守ってくれたのです。
「彼のやりたいようにやらせてやろうと思いました
子育てみたいなもの
本当はこうなって欲しいって。どこかある。
だけど本当に相手の幸せを考えたら
あきらめるというか、手放すというか
信頼しながらね」

二度目のワールドバリスタチャンピオンシップ

そして2014年5月。
イタリアの港町リミニで開かれた世界大会。
二度目の挑戦が始まりました。

この日のためにエンリケさんもコスタリカからやってきましたた。
エンリケさんは審査員に説明するプレートに「みんなにありがとう」とサインしました。

ありがとうのサインは井崎さんに対する感謝の言葉でした。
井崎が私たち生産者を尊重してくれたことをありがとうという言葉で示したのです。

井崎さんは予選突破し、6人で争う決勝へ進みます。

コーヒーを提供しながら審査員にエンリコさんとつくりあげた豆の説明をしました。

「彼のコーヒーを初めて飲んだときは衝撃でした。
同年代でこれほどのコーヒーをつくる生産者は他にいません。
私たちはエンリケの農園で力を合わせて究極のコーヒー豆を作り上げました。
本日、みなさまのためにご提供します。」

井崎さんは自分が信じるコーヒーの新たな可能性を審査員に訴えました。

「エンリケと組んだのは
生産者である彼とバリスタである私の情熱が一緒だったからです。
言語の壁、文化の違い、そして距離 すべてを乗り越え
若い二人の可能性を象徴するコーヒーができたのです。
今日は自身を持ってご提供します。
お楽しみいただけたら幸いです。」

前回の大会と違い井崎さんに迷いはありませんでした。

審査員に出したコーヒーは間違いなく追い求めた自分のコーヒーだったのです。

 

そして勝利の行方は・・・・

「イサキヒデノリ」の名前が場内に告げられました。

日本人初のバリスタ世界チャンピオンが誕生しました。
アジア人初でもあります。

優勝の記念写真にエンリケさんたちに混じって丸山社長、
そしてお父さんの姿も。

井崎さんは、僕を育ててくれた二人にようやく恩返しができました。と。

「わが子ながらよくやるわ。たいしたもんだなと。
高校中退して、まったく勉強していなかったから、
そのから先ずっと頑張って
とうとう僕のほうが感謝する晩になりました。」
とお父さん。

そして、井崎さんは、その年の「バリスタマガジン」の表紙を飾ることになったのでした。

2014年09月世界チャンピオンになってから4か月、再びエンリコの農園をたづねました。
エンリコさんの新しい農園に名前をつけるためです。
その名前は、
「絆(きずな)農園」

ふたりの絆、家族の絆。

最後に

バリスタ世界チャンピオンに、思わぬ仕事が舞い込みました。

2019年6月。
3000店舗を展開する中国の新興コーヒーチェーンのすべの飲料のプロデュースをする仕事です。

 

井崎さんは、これからもますます人びとを幸せにするコーヒーを広めていかれることでしょう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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