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喪中と忌中の違いと、喪中にやってはいけないこと。知っておくべきマナー。

喪中

「喪中」と似た言葉に「忌中」というものがあります。
読み方は、
「喪中」=「もちゅう」、
「忌中」=「きちゅう」
と読みます。

忌中と喪中という2つの言葉には違いがあります。
では、どう違うのでしょうか?

この記事では、同じようなことばの「喪中」と「忌中」の違いについてと喪中にやってはいけないことを説明しています。

「忌中」と「喪中」の違い

「喪中」と「忌中」は意味が異なります。
では、どう違うのでしょうか?

忌中の意味

まず、忌中は、死による穢れ(けがれ)を他の人に移さないよう、外界に広めないよう、家にこもり外部との接触を避けて身を慎む期間とされています。
元々は神道の考え方であり、神道では昔から、死を穢れ(けがれ)として畏れ(おそれ)ていました。

神道では、故人の魂は家と遺族を守る「守護神」となるとされています。
神式では、「葬場祭」または「神葬祭」と呼ばれる葬儀の後、10日ごとに「霊祭(れいさい、みたままつり)」という法事を行います。
そして、五十日祭で「忌明け(きあけ)」となります。
葬儀に続く一連の儀式は、亡くなった人を、五十日祭を通じて家と遺族を守る守護神として自宅の神棚に迎え入れるのです。

仏教では、忌中とは命日(亡くなった日)から四十九日法要を迎える49日間のことです。
故人は、あの世(冥途)に行くと初七日から七日ごとに生前の行いを裁かれ、最後の四十九日目の閻魔大王(えんまだいおう)の審判で行き先(極楽浄土に行けるかどうか)が決まるとされています。
最後の審判で決まる行き先は「六道(ろくどう・りくどう)」と呼ばれ6つあります。
(「六道」とは、「地獄」、「餓鬼」、「畜生」、「修羅」、「人間」、「天上」の6つです。7つめの行き先が「極楽浄土」です。)
人は亡くなるたびに審判を受けて、6つを繰り返し生まれ変わるのですが、「極楽浄土」に行くことが許されると、この繰り返し「六道輪廻」から抜け出せるのです。
これを「解脱(げだつ)」することができると言われています。
残された家族や親族は、故人の苦しみが取り除かれるよう祈り、そして遺族自身が善い行いをすることで、故人が「極楽浄土」へ行けるよう供養を行います。

四十九日法要を終えると「忌明け(きあけ)」となります。

かつては、忌中の間は喪服や質素な服装で、音もたてず、家の門戸を閉めて完全に外部との接触を絶っていました。
また、お酒を飲んだり肉や魚を食べたりすることもせず、精進料理を食べて過ごしていました。
現在では完全に他人と接触せずに暮らすことは難しいため、普段通り職場や学校へ行き、食べ物も普段通りとすることが一般的です。
昔の意味合いは薄れて、忌中にはお祝い事やお祭りを控えるなどのわずかに残る慣習やマナーが残されています。

喪中の意味

一方、喪中は、残された人が身内や親族など近い人を亡くした悲しみから立ち直るための期間です。
遺族や親族が自らの行動を慎しむしみ、亡くなった故人を偲び、冥福を祈る期間とされています。

喪中は、古くは奈良時代の「養老律令(ようろうりつりょう)」にも規定されていた、儒教の考え方に基づく風習です。
さらに、江戸時代には「服忌令(ぶっきりょう)」(徳川幕府第5代将軍 徳川綱吉の時代に制定)、明治時代には、その「服忌令」を参考にして明治政府が定めた「太政官布告(だいじょうかんふこく)」によって家族や近親者が亡くなった際の喪に服す期間などが定められていました。
「太政官布告」は昭和22年に撤廃され現在は法律で定められいませんが、この定めは現在の喪中の基準にもなっています。

忌中と喪中は、正確にいうと、喪中の期間の中には忌中の期間があります。

穢れについて

「穢れ」とは、「汚れ」のことではなく、「忌まわしく思われる不浄な状態」です。
「穢れ」とは「気が枯れる」が語源とされ、「ケ」が枯れる「ケガレ」から転化した言葉といわれています。


神道と仏教それぞれが持つ「穢れ」の観念で、死に対する考え方・扱い方がもっとも大きく異なります。

神道における「穢れ」は「気枯れ」あるいは「生枯れ」で、
元気がない状態、生と対極、つまり≒死もしくは死に向かっている状態を「生が枯れる」という意味で「生枯れる」「けがれ」であるとされます。

神道では、血や死を穢れとして扱うのに対し、仏教はそれらを穢れとはしません。

仏教では、通夜や葬儀を、寺院で行なうことは一般的なことすが、神道では、神社で葬儀をすることは基本的にありません。
神域である神社に穢れを持ち込まないからです。

喪中、忌中の期間

忌中の期間

忌中の期間は、一般的に身内や親族が亡くなった命日から、仏教と神道で期間が異なり、49日もしくは50日の期間です。

仏教では四十九日法要、神道では五十日祭りにあたる忌明け法要までということです。

忌中の期間は、喪中と同様に江戸時代の服忌令における「穢れを忌む」期間の定めに従っています。

故人との関係が近いか遠いかで、忌中の期間が違っています。
配偶者・父母・子供   50日
祖父母・孫・兄弟姉妹・配偶者の父母   30日
曽祖父母・曽孫・おじおば・甥姪・子供の配偶者   10日

神道では忌明けの目安は命日から50日の五十日祭を忌明けとする場合が多く見られます。
なお、同居している人が亡くなった場合、血縁の濃さに関係なく忌中の期間は50日となります。

仏教では、四十九日法要を終えて、無事に極楽へ辿り着くタイミングと同時に忌明けとされます。
その一方で神道の忌明けは最も長い忌中が、両親を亡くした場合で50日間です。
忌明けの目安は命日から50日の五十日祭をもって忌明けとするケースが多く見られます。
これらの期間は、かつて明確に期日が決まっていたとされていますが、現在では目安程度になっています。
期間中はお祝い事やお祭りを控え、故人を偲び静かに生活するという考えが基本にあります。

喪中の期間

一周忌をもって喪が明けるという考えが一般的で、喪中は命日からおおよそ1年間とされています。

服忌令およびそれを参考にしている太政官布告は、「喪に服す」期間と「穢れを忌む」期間に分かれています。
現在一般的となっている喪中の期間は、この「喪に服す」期間を参考にしているのです。

喪中の期間は、故人が亡くなった日から1年間が喪に服す目安とされていますが、故人との続柄などによって喪中の範囲やその期間が変わります。

現在の喪中の期間の一般的な目安

続  柄喪中期間
父母、義父母 12~13ヵ月
子ども 3~12ヵ月
祖父母3~6ヵ月
兄弟姉妹1~6ヵ月
曾祖父母、伯叔父母 喪中としない

同居・別居など付き合いの程度や悲しみの大きさによっても変わることもあります。あくまでも参考程度のものです。

明治時代の喪中の期間

続  柄喪中期間
父母、夫13ヶ月
義父母、祖父母(父方)、夫の父母150日
妻、子ども90日
兄弟姉妹、祖父母(母方)、伯叔父母、曾祖父母90日
養子30日

喪中の範囲

喪に服す間柄、つまり喪中の範囲は、基本的には故人から見て2親等(父母・兄弟・子供・孫・祖父母など)までとされています。
3親等からは喪中としないことが多いようですが、血縁で見れば3親等以上離れている場合でも、故人との関係性が深ければ喪中となる場合もあります。

なお、親等で表すのは血族と姻族で、配偶者に関しては親等で表すことはないため、注意が必要です。

3親等までの親族
0親等 夫、妻
1親等 故人の父母と子供、配偶者の父母
2親等 故人と配偶者の祖父母、兄弟姉妹とその配偶者、孫とその配偶者
3親等 故人と配偶者の曽祖父母、曽孫、叔父叔母(伯父伯母)、甥や姪

喪中にやってはいけないこと

喪中にやってはいけないこと・控えるべきこと

喪中は、忌中期間も含めおよそ1年間ほどの期間ですが、
喪中の期間は、贅沢を避け、身を慎んで過ごすことが良いとされています。

そのため、結婚式をあげたり参列することは控えましょう。
婚姻届けは喪中でも忌中が明けるとよいとされています。
家の新築や改築などのお祝い事も同じです。
また、旅行や引っ越し、パーティや宴会、新年会や忘年会なども基本的には出席を控えます。
ただし、会社や学校の関係でどうしても出席しなければならない場合もあります。

喪中の間は、神社への参拝は控えます。
神社の境内は「神域」で、神社に立ち入ってはいけないとされています。
神社の鳥居をくぐってはいけないと言われるのはそのためです。
ただし、忌明け後はよいとされています。
また、お寺へのお参りはしてもよいとされています。

子どもの七五三も喪中には避けましょう。
時期をずらせるか、1年遅らせて喪中が明けてからにするのもいいと思います。

喪中の場合にはお歳暮やお中元を送ってもよいとされていますが、忌中の場合は控えましょう。

お正月に玄関へ飾るしめ縄や門松、鏡餅のお供えも控えます。
また、年賀状も辞退します。

喪中のお正月のお節やお年玉、過ごし方などについてはこちらに詳しくまとめています。

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喪中でもしていいこと

喪中でもしていいことについてです。

喪中であっても、お葬式への参列は構いません。
節分行事への参加も問題ないとされています。

また、年末の年越しそばは食べても問題はないとされています。
年越しそばは、そもそも新年を迎えるお祝いではないためです。

お歳暮・お中元をおくる場合も、自分が喪中、または送付先が喪中であっても問題ないとされています。
そもそもお歳暮は、一年間お世話になった方々への感謝の気持ちを贈り物ですし、
お中元は、暑い時期に暑中見舞いと合わせて半年間お世話になった感謝の気持ちを表すものです。

浄土真宗とキリスト教

喪中、忌中も宗教によっては考え方が違っています。

まず、仏教の中でも浄土真宗の場合です。
浄土真宗では、忌中や喪中の概念はないとされています。

浄土真宗では亡くなった人は生前の行いに関係なく、亡くなるとすぐに仏様になると考えられています。
そのため、他の仏教の宗派での「忌」という考え自体がないのです。

キリスト教における忌中・喪中ですが、
キリスト教も、浄土真宗と同じで、もともと「忌」という考え方はありません。

キリスト教では、「人は死ぬと神様によって天国へと導かれます。そして、遺された人たちも同じように死後天国へ行き、そこで後々再会できる」という考え方であるためです。

したがって、死はひと時の別れでまた再会できるので、死を悼む期間も必要ないとされているのです。

しかし、このようにキリスト教では「忌」という考え方がないのですが、日本では忌中、喪中の考え方が受け入れられています。
プロテスタントの場合は亡くなってから1ヶ月後の召天記念日、カトリックでは亡くなってから30日目の追悼ミサまでを忌中とされています。

まとめ

「喪中」と「忌中」は似た言葉ですが、2つの言葉には違いがあります。

忌中は、死による穢れ(けがれ)を他の人に移さないよう、外界に広めないよう、家にこもり外部との接触を避けて身を慎む期間とされています。
期間は命日から49日もしくは50日間です。
喪中は、喪中は、残された人が身内や親族など近い人を亡くした悲しみから立ち直るための期間です。
遺族や親族が自らの行動を慎しむしみ、亡くなった故人を偲び、冥福を祈る期間とされています。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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