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世界遺産国宝姫路城と宮本武蔵~武蔵の姫路城天守の妖怪退治

宮本武蔵の姫路城天守の妖怪退治

剣豪・宮本武蔵ってご存知ですか?

よく知られている宮本武蔵像は、吉川英治の「宮本武蔵」からで、歴史上の武蔵の本当の姿は不明なところもたくさんあって、謎に包まれています。

武蔵の出身地はどこ?

美作国宮本村(岡山県)で生まれたため「宮本」と名乗ったとする説など諸説いろいろあります。現在では、武蔵自身が著した「五輪書」の中で「生国播磨の武士・・・(播磨生まれの武士)」と書いていることなどから、武蔵の出身地(生誕地)は、播磨(兵庫県)であるという説が有力です。

さて、その播磨地方の真ん中にある姫路城。
姫路城と剣豪・武蔵とのかかわりが伝わっています。

播磨が出身地(生誕地)であると言われている宮本武蔵と姫路城との物語

武蔵が姫路城下にいた証拠は?

武蔵と姫路城とのかかわりですが、江戸時代の初期に、2つの理由で、姫路城下にいたと思われています。
歴史的な確証はないのですが。

1617年、本多忠政(ほんだ ただまさ)が、池田氏の後に、桑名から姫路に国替えとなり、入封しました。

本多家の剣道指南役に、三宅軍兵衛(軍太夫)という人がいます。軍兵衛の屋敷は、江戸初期の姫路城下絵図に書かれていて、軍兵衛は実在の人物です。
その軍兵衛が、姫路城下で武蔵と対決をして、手も足も出ず、死ぬ思いをしたということが資料として残っています。

また、本多家の記録にも、武蔵を召し抱えたことを示す記述があります。

数々の決闘を制したのち、武蔵は姫路に来たと考えられます。

もう一つは、その忠政の嫡男・忠刻(ただとき)に、武蔵が、養子の三木之助(造酒之助)を小姓として差し出しています。
三木之助は、剣道の相手などを務めていたと思われますが、刻が31歳で早逝すると、他の小姓とともに追い腹を切って殉死します。三木之助23歳でした。

姫路市・書写山園教寺の本多家廟所には、忠刻の墓とともに、三木之助の墓碑も建っています。
ほんとうに、宮本武蔵は姫路に住んでいたのですね。

こうした実際にあった事実をもとに、稀代の剣豪・武蔵と天下の名城・姫路城をめぐる物語が次々と生まれていったと思われます。

三木之助の話は忠刻に嫁いだ千姫の物語にも出てきます。

姫路城の妖怪

世界の各地には、美しいものに妖怪がかかわるとか、住み着くとかといった物語が語り継がれていたりします。
美しい姫路城にもあります。例外なく。

「甲子夜話(かっしやわ)」「諸国百物語」など江戸期の書物に、「姫路城の城ばけ物」などと称して数多くの姫路城の妖怪が登場しています。

初めは「名もない化物」だったのですが、姫路城天守の建つ小高い山である「姫山」の地主神・刑部(おさかべ)神社にちなんで「長壁(おさかべ)」とも言われています。

姫路城天守の最上階に住むとされるこの妖怪を、武蔵が退治するという物語があります。

宮本武蔵の姫路城妖怪退治の物語

秀吉の義理の兄(弟とする説もある)・木下家定が姫路城主であった頃の話です。
宮本武蔵は、そっと名前を隠して足軽奉公をしていました。

そのころ、姫路城天守に、妖怪が現れるという噂が広まっていました。
城の見張り番の役目をする者たちは、皆この噂を怖がっていて、見張り番をまともにすることができない状態が続いていました。

もともと、天守自体は人が居住するところではないので、人がいない夜の天守内部はなにもない暗い空間が広がっているだけです。とても怖いと思います。

しかし、武蔵だけが平気で夜の見張り番の役目を勤めていたことが、家老の聞くところとなります。
実は、名高い武芸者であることが知られるところとなりました。

そして、城主・木下家の客分としてとりたてられた武蔵が、妖怪退治をお願いされたのでした。

武蔵がある真っ暗な夜、灯ひとつを持って、不気味な悪い大きな暗闇の広がる天守に登ります。

3階の階段にさしかかると、地響きと轟音とともに、突然すざましい炎が吹き降りてきました。
武蔵が腰の刀に手をかけ、妖怪が現れるかと身構えると、その異変はピタリと止み、天守内はまた元の静けさに戻りました。

4階でも同じことがありました。

武蔵は構わずさらに天守を登ります。
そして、最上階で座りこみ、妖怪が現れるのを待ちます。

やがて、そのうちにうつらうつらし始めた頃、どこからともなく武蔵を呼ぶ声が聞こえてくるのでした。
はっとして、目を開けると、美しい姫が現れ、武蔵に語りかけました。
「私は姫路城の守護神、刑部(おさかべ)明神です。
あなたが今夜来てくれたおかげで、姫路城に住む妖怪は恐れて逃げていきました。
褒美にこの宝剣を与えましょう。」
と言って姿を消しました。

白木の箱に入った郷義弘(ごうのよしひろ)の名刀が、武蔵の前に残されていたということです。

この話は、木下家定が姫路城主のころということですので、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の三層の天守の姫路城の話かなと思います。

ちなみに、現在の姫路城を築城したのはこの次に城主となる池田輝政です。

現在の姫路城大天守の最上階にある刑部神社

さいごに

美しいところには、妖怪が住むという話は、世界中のいろいろなところで伝説や物語として伝えられています。

元々姫路城にゆかりのある武蔵と美しいものに住むという伝説の妖怪が結びついても違和感はないです。
語られるべくして語られた物語だと思います。

その剣豪・宮本武蔵の妖怪退治があったとされる姫路城天守。
優美な外観とは全く違う姿を見せるのが、天守の内部。

天守の内部に入ると、外観の優美さではない武骨な空間が広がります。
大木が使われている巨大な木造建築だったんだと再認識させられるのです。

そして、今も残る、武蔵が登っていったであろう狭く急傾斜な階段(天守を登る手段は今もそれしか方法はないですが)。
武蔵に妖怪退治の物語を感じながら、姫路城の天守を探索してください。

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